2012/03/15

自省録 / マルクス・アウレーリウス 神谷美恵子


マルクス・アウレーリウスの「自省録」を読みました。

本書について

本書になじみのない方(私も読む前はそうでした)のために、まずはこの本の著者マルクス・アウレーリウスについて。

マルクス・アウレーリウスとは
この本の著者・マルクス・アウレーリウスは、今からおよそ1900年前、2世紀頃に活躍したローマ帝国の皇帝です。ローマ総督・執政官の職にあった祖父のもとで育った後皇帝アントーニヌス・ピウスに養子として迎えられ、40歳のときに皇帝となった人、だったそうです。私は世界史に疎かったためか、本書を読むまでその存在を知りませんでした。。

自省録とは
「自省録」は、皇帝マルクス・アウレーリウスがその生涯の中でつづった膨大な量のメモ書きを一冊に集めたものです。超実践家、実務家としての皇帝らしからぬ(?)哲学的な思索がのびのびと繰り広げられている一冊です。

それもそのはず・・・と言っていいかどうかはわかりませんが、そもそも自省録に収録されているメモは人に見せるためではなく「自分だけが見る日記」として書かれたものだとか。だから、形としては勝手に公開されて勝手に読み継がれている本、ということになるでしょうか。。うっかりエラくなってしまった日にゃあ、公開するつもりなんて全くなく好き勝手書いた日記が公開されてしまったりするので、要注意ですね笑。さらに運が悪いと(運が良いと?)後世2000年近くも読み継がれてしまったりするので大変です。

それはそうと。

メモとして書かれたため、全体を貫く一貫したメッセージや周到な構成はありません。言葉の意味がよくわからない部分や重複した記述もたくさんあります。ただ、その言葉のひとつひとつには実務家ならではのリアリティがあり、思想には時代を越える普遍性があります

世に言う「帝王学」というのがどういうものを指すのかよくわかりませんが、自省録を読んで「こういう考えが帝王学っていうのかなぁ」と思いました。これが帝王学なら、悪くない気がします。


ピックアップ

以下に、胸に刺さったポイントをいくつか抜粋します。・・・の前にお断りを。自省録は、ひとつひとつの主張を正しく読むことも大切ですが、それ以上に、全体を「感じる」ことが大切なように思います。断片化した一語一語よりも、その数多の言葉を俯瞰したときにうっすらと浮かんで見える「マルクス像」「人柄」を見ることが大切かなと。

読み始めて間もない頃は「どうしてこんなに雑多なメモを集めてあるんだろう・・・」と思ったのですが、読み終えてみると、メモのひとつひとつは雑多であっても、全体を見通したときに見える全体像にこそ自省録の醍醐味があるのかなと感じました。そのため、抜粋というやり方はあまりよくないと思いますが、、、、魅力をご紹介するためにあえてポイントを3つに絞って抜粋してみます(面白そうであれば、ぜひ文庫を買って、書き込みながら読んでみてください)。

ポイントその1.感謝のきもち
ひとつめのテーマは感謝のきもち。自省録では「これでもか」というほど(笑)周りの人たち、人生の中で出会う出来事・巡り合わせに対する感謝のきもちが述べられています。ここでは、その中から「父に感謝していること」「神に感謝していること」を一部挙げてみます。親をよく見てよく学ぶ、マルクスの観察力・吸収力の高さが見てとれます。

父から

  • 温和であること
  • 熟慮の結果いったん決断したことはゆるぎなく守り通すこと
  • いわゆる名誉に関してむなしい虚栄心を抱かぬこと
  • 労働を愛する心と根気強さ
  • 公益のために忠言を呈する人びとに耳を貸すこと
  • 各人にあくまでも公平にその価値相応のものを分け与えること
  • いつ緊張し、いつ緊張を弛めるべきかを経験によって知ること
  • 評議の際、ものを徹底的に検討しようとする態度
  • 彼(自分)に対する喝采やあらゆる追従をさしとめたこと
  • 帝国の要務について日夜心を砕き、その資源を管理し、そのために起こる非難を甘んじて受けたこと
  • 人生を快適なものにするすべてのもの――それを運命はゆたかに彼に与えたが――を誇ることもなく、同時に弁解がましくもなく利用し、そういうものがある時にはなんら技巧を弄することもなくたのしみ、無い時には、別に欲しいとも思わなかったこと
  • 人づきのよさと少しも気むずかしいところのない慇懃さ
  • 自分の肉体にたいする節度ある配慮
  • すべて祖先の伝統に従っておこないながら、伝統を守っていることをひけらかさなかったこと
お父さん、ちょっとかっこよすぎます。

神々から

  • よき祖父、よき両親、よき妹、よき師、よき知人、親類、友人たちを持ったこと
  • 私の妻のようなあれほど従順な、あれほど優しい、あれほど飾り気のない女を妻に持ったこと
  • 修辞学や詩学やその他の勉強においてあまり進歩しなかったこと
  • 自然にかなった生活について、それがどんなものであるかの概念をはっきりと、そして頻繁に持ったこと
  • 私の身体がこのような生活にこんなに長い間持ちこたえることができたこと
よくもこれだけ挙げられるなぁと呆れるぐらいだくさんあります。「能力がないこと」まで感謝しています。私はとてもこれだけ感謝できてないなぁ。。。見習わないと。

これを読むと、「感謝」には力が必要で、たとえば、周りの人が何をやっているのか、自分の周りでどんなことが起こっているのかといったことを正しく見れるレンズが必要だということがわかります。逆に、周りで起こっていることを正しく認識するレンズさえあれば、感謝の気持ちはもう自然とわき上がってくるもの、なのかもしれません。


ポイントその2.人生の短さ
ふたつめには、人生の短さについて。これは自省録の全体を通じて何度も出てくるテーマです。

今すぐにも人生を去って行くことのできる者のごとくあらゆることをおこない、話し、考えること。

なんとすべてのものはすみやかに消え失せてしまうことだろう。
人生の時は一瞬に過ぎず、人の実質(ウーシアー)は流れ行き、その感覚は鈍く、その肉体全体の組合せは腐敗しやすく、その魂は渦を巻いており、その運命ははかりがたく、その名声は不確実である。

一言にしていえば、肉体に関するすべては流れであり、霊魂に関するすべては夢であり煙である。人生は戦いであり、旅のやどりであり、死後の名声は忘却にすぎない。

人生は一日一日と費やされていき、あますところ次第に少なくなっていく。(中略)我々は急がなくてはならない、それは単に時々刻々死に近づくからではなく、物事にたいする洞察力や注意力が死ぬ前にすでに働かなくなってくるからである。

記憶せよ、各人はただ現在、この一瞬間にすぎない現在のみを生きるのだということを。

あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。

すべてかりそめにすぎない。おぼえる者もおぼえられる者も。
遠からず君はあらゆるものを忘れ、遠からずあらゆるものは君を忘れてしまうであろう。

「人生は短い」という言葉をマルクスはいろんな言葉で教えてくれます。どれだけ言っても言い足りないと感じていたのかもしれません。

私は忙しいとついそこを忘れて汲々とし、夜ベッドの中で落ち着いたときにようやく思い出したりするのですが、ここのところはなるべくいつも忘れずにいたいものです。

「何によって覚えられたいかね?」というドラッカーの問いも、人の間に生きてゆく私たちの生き方を考えるためには良い問いですが、マルクスが言うように、そういった名声や評価も所詮は消えゆくもの。だから、「人が自分をどう認識するか」といった部分を越えて他人の評価を越えて、「我なさんことただ我のみぞ知る」という龍馬のこころの方がいいのかも、しれませんね。


ポイントその3.人生における基本姿勢
みっつめは、人生全般において持つべき基本的な姿勢、心構えについて。

何かするときいやいやながらするな、利己的な気持からするな、無思慮にするな、心にさからってするな。
いかなる行動をもでたらめにおこなうな。技術の完璧を保証する法則に従わずにはおこなうな。
「私は今自分の魂をなんのために用いているか。」ことごとにこの質問を自分にたずねよ。
君がこの世から去ったら送ろうと思うような生活はこの地上ですでに送ることができる。
ただつぎの一事に楽しみとやすらいとを見出せ。それはつねに神を思いつつ公益的な行為から公益的な行為へと移りゆくことである。
もしある人が私の考えや行動がまちがっているということを証明し納得させてくれることができるならば、私はよろこんでそれらを正そう。
理性的動物にとっては、同一の行動が同時に自然にかなったものであり、理性にかなったものなのである。
あたかも君がすでに死んだ人間であるかのように、現在の瞬間が君の生涯の終局であるかのように、自然に従って余生をすごさなくてはならない。
目前の事柄、行動、信念、または意味されるところのものに注意を向けよ。
行動においては杜撰になるな。会話においては混乱するな。思想においては迷うな。魂においてはまったく自己に集中してしまうこともなく、さりとて外に飛散してしまうこともないようにせよ。人生においては余裕を失うな。
働け、みじめな者としてではなく、人に憐れまれたり感心されたりしたい者としてでもなく働け。ただ一事を志せ、社会的理性の命ずるがままにあるいは行動し、あるいは行動せぬことを。
君の仕事はなにか。「善き人間であること。」

これらはすべて、ふたつめに挙げた「人生は短い」という根本認識とつながっています。

志に従うこと。自分を騙すのではなく自分の本当の心、本心に従って行うこと。目の前のことに全精力を注ぐこと。細部まで神経を使うこと。そして究極には、自分の仕事は「特定の職業」ではなく「善い生き方をすること」だと思って生きること・・・

志にのみ生きるのではなく。ただ自分の心にのみ従うのでもなく。複数ある「大切なもの」のいずれも見失わずに、めいっぱい生きろ、とマルクスは言ってます。

ただストイックに生きるのでもなく、享楽にふけるのでもなく。理性と楽しみ、使命と安らぎ、それらをともに求めながら、そして人の言葉を真摯に受け止めて「善く」生きよう、というのがマルクスの主張です。これ、考えを追っているとだんだんわけわからんくなってきます笑。どういうこと。


・・・このあたりの「生き方の哲学」については、「考えすぎてカタくなる」というのはもちろんダメですが、「何も考えず、ただ流れに身を任せればよい」というのもまた違うのかなと本書を読んで思いました。なんといいますかこのあたり、反復を続けていつの間にか無意識のうちにカラダが良い動きをする、いわゆる「心の欲するところに従いて矩をこえず」状態になれれば、素敵かなと思います。

ん、難し。でも、本当に面白いです。


最後に

およそ2000年前に生きた皇帝マルクスも、現代を生きる私たちと同じような哲学的疑問――たとえば、理性や自由、人生、世界のあり方、そして、いかに生きるべきかということについて考えていたということがよく伝わってきました。これだけ強い思いを持って生きた人がいたという事実に素朴に感動します。なんだか、「人間に生まれてこれてよかったなぁ」と目頭が熱くなりました。最近こういうことで目頭が熱くなってたまらんです笑。

本当に、大昔の皇帝から直接話を聞いているようなワクワクした気分になれました。ぜひ、また時間をおいて再読します。

自助論や、「一度きりの人生いかに生きるか」というお話が好きな方に、本当におすすめな一冊です。もし読まれたら、ぜひご意見お聞かせいただきたいです。